2014年2月4日火曜日

御在所岳 チャリ登山 (その1

鹿児島県の山 No. 36 御在所岳

この記事は、2014/02/01(土)に志布志の御在所岳(ございしょだけ)にチャリ登山に行った際の記事になります。

サイクリングルートも御在所岳も、とても良かったので、2回に分けてご紹介です。

今週末走りに行けるのは土曜日だけ。

どこにしようかと最初に決めたのは横岳。
なんだけど四季山遊会の予定が2/16(日)横岳となっている。
んじゃ白山。
っと考えたが、チャリルートが最近のルートから変化なく、ちとつまらない。
ふと鹿児島県の山の分布地図に目をやると、、、
大隅半島北東部に、ひとつだけぽつんとある山が気になった。
そう、御在所岳だ。

ということで、御在所岳に登ることに決めました。

鹿屋まで帰るルートとしてたまに使う財部、都城経由だと、志布志までのルートが少し遠い。

錦江湾から太平洋側に抜けるルートだとどうだろう?
地図を眺めると、福山から登り、牧之原、岩川、松山、志布志へと無駄なく繋いでいる道がある。
しかもこのルート、走ったことがない。

見えました!
これだなと思って引いたサイクリングルートはこちら。


登山口のある志布志の田之浦小学校までが約 90キロ。
鹿屋までの帰路が約 40キロ。
良い感じである。

登山の所要時間はさほどないが、面白そうな山なので、今回は登山もゆっくりと楽しみたい。

5時半出発だなと決め、準備をするも、ようやく床についたのが夜の11時過ぎ(汗
こりゃいかんですばい~。
準備は前々日までにあらかた済ませておき、前日は早寝できるようにすべし、と反省。

しかしなかなか寝付けない。
初めて走る道、、、ワクワクして寝付けないのだ。
途中起きて準備などしてみる。
結局、アラームで起こされる前に起きていた。
シャワーを浴び、スッキリした体でインナーウェアに袖を通す。
肌触りが超気持ちい~~~。
やっぱ朝風呂はいいね~~~。
戦闘準備(なんのじゃ?) OKです!とスイッチが入る。

予定通り、5時半ジャストに出発(今回は良くできました!

暗い時間が少し長いので、今回はブルベ用のヘッドライトも装備。
ヘッドライトは自転車で使用しない時でも、登山の非常時用として予備電池とともに常にリックに忍ばせている。

明るさは命!
ブルベで学んだことだ。

10号線は相変わらず、トラック、タンクローリー、トレイラーなどの大型車が多い。
しばらくは路肩の狭いところが多いので、開けたところでトラックに先を譲る。

今日は桜島がまったく見えない(残念
国分につく頃にはだいぶ明るくなってきた。
畑から水蒸気が上がっている。



国分から福山へと降りる坂は亀割峠。
ちょっと調べても、亀割の名前の由来が分からないのだ。
今回はこの坂を良いぺースで登れた(嬉
勾配が少しキツくなる最後の坂をぺースを落とさずに登れるようになることを目標に設定する。

福山小学校を過ぎると、478号線へと登る交差点に到着。
交差点を左折して直ぐのところにある宮浦神社。



境内に入ると、夫婦イチョウのその立ち姿に圧倒される。
幾多の台風にも耐え、寛政三年の大火事、明治十年の西南戦争をも静観し、千年以上時を経た今もなお、イチョウの実を結ぶという。

「幼い頃、あたりが暗くなるのも忘れ、このイチョウの実を集めて遊んだのよ。」

と言うのは、ここ福山出身の私の母である。



さて、ここからがお楽しみルート。
いきなり勾配キツくて、おいしすぎ~(汗
と思っていたら、最初と最後がキツく、中程は割と緩やかな坂。
竹林もあり右手の山の斜面は結構切り立ったていて、崖崩れ防止のコンクリートが箇所箇所に見らる。

途中にある熟成中の福山酢。
みかんと福山酢と錦江湾が良く似合う。



この辺は桜の木も植えてある。
一本だけきれいに咲いた梅の木(だよね?)があったのでパチリ。



日本百景展望所とある中茶屋公園。



この日の視界は良くなかったが、錦江湾と桜島のロケーションがばっちりです。
写真は左手やや後方に朝日がかかったところをパチリ。
ここから眺める夕暮れ時の景色は特に格別らしい。
夕日が桜島の山肌に落ちていくらしい。


ところで、日本百景展望所って他にどこがあるのだろうと調べてみたが、情報がない。
錦江湾が日本百景に選ばれているから、ここからの眺めが選定されたのだろうか?

戦国時代の福山の案内地図があり、なにやら興味深い。


ちょっと気になったので、これをヒントに調べてみることに。

まず、現在のこの 478号線とは若干異なるが、鹿児島と宮崎とを繋ぐ日州街道が、宮浦神社から延びていたらしい。
当時の旧道筋が箇所箇所に残っているとのこと。

この日州街道が、当時の薩摩藩の軍事、経済上の幹線道路だったというが、今では車はあまり通っていないようだ。
坂の途中には茶屋もたくさんあり、当時は賑わっていたという。
中茶屋公園という名はそこから付いたと想像する。

また、戦国時代には、この地が島津氏と肝付氏との大隅の覇権をかけた攻防戦の舞台となっている。
一時は島津氏を圧倒していた高山の肝付氏も、当時薩摩をほぼ制圧していた島津氏の薩摩、大隅、日向の三州統一の機運に危機感を感じたのであろうか?

さらには、哲学の道、なるこんな道も。
これは調べてみたけれど、正体分からず。


登り詰めると牧之原の交差点に。


ヒルクライムに、展望に、歴史にと、とてもお勉強になる良い坂でした。

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